「桔梗紋」を知る

智積院と桔梗紋の関わりについて~由来・歴史

智積院の桔梗

日本の家紋の一種である桔梗紋の図柄は、その対照的な五枚の花弁を描いたもの、とくに均整の取れた美しい造形美で知られています。桔梗の花そのものを真上から見た様子を図案化し、丸の中に桔梗を入れたもの、変形を加えたもの等、「桔梗紋」にはさまざまな種類が存在しています。丸に桔梗、三つ割桔梗、三つ葉花桔梗、抱き桔梗など、桔梗紋と呼ばれる紋の図案の数は100を超え、関連の桔梗紋も約20種あるとされています。

「土岐桔梗」と呼ばれる白地に黒色の桔梗紋、また水色に染め抜かれた、明智光秀が使ったとされる家紋は「水色桔梗」と言われるものです。「水色の地に染め抜きの桔梗紋」もあります。主たる使用地域は、岐阜県、愛知県、三重県、和歌山県、四国各地、九州各地です。

縁起の良い紋章として愛され続けてきた桔梗紋。「吉凶(きっきょう)」と「桔梗(ききょう)」の音が近いことから、昔、桔梗の花を一輪神仏に捧げて吉凶を占う習慣があったといいます。それゆえこの花は、「運命を暗示する花」として用いられてきました。

もうひとつ、木偏を取り除くと「吉」と「更」という字になることから、つまり「吉更=さらに吉」という語呂に縁起をかついで尊ばれたとも言われています。なるほど、不思議と歴史上、数奇な運命をたどった人物には桔梗紋を用いた人物が多いというのも興味深い話です。美濃(岐阜県)出身の武家が好んで使った家紋の一つであり、たとえば清和源氏頼光からでた美濃の土岐一族の代表家紋として、また明智光秀、加藤清正、坂本龍馬もこの家紋を用いていました。
土岐家発祥の地である「土岐」という地名は、桔梗の古語である「オカトトキ」(岡止々岐/岡に咲く草)の意味を持ち、ここからトトキが咲くことが由来となり、土岐家の家紋となったことが伝えられています。さらに土岐氏支流の妻木氏、揖斐氏、植村氏、仙石氏、蜂屋氏、肥田氏、頼光流の太田氏など多数。こうしたことから、テレビドラマの時代劇などで目にする機会が多い家紋のひとつでもあり、桔梗紋は現代でも馴染みの深い家紋のひとつとなっています。

戦国時代には土岐氏の流れを汲む明智光秀が水色の桔梗紋を用いたことも有名です。ある戦の時に野に咲いていた水色の桔梗の花を兜の前立に差して戦ったところ、みごと大勝利を得たことから、縁起のいい花であるとして桔梗の図案を家紋として採用、清和源氏を象徴するものとなったと伝わっています。なお戦国時代や江戸時代では、家紋を身に着けるのは男性に限定されていたのですが、女性はこの桔梗の花を小形にして身に着けていたようです。

有名な歴史の話のひとつでは、織田信長が本能寺で襲撃された際に、兵士が担いでいる旗にまさしく「桔梗紋」が描かれていたため、この紋から明智光秀による謀反であることを認識したという言い伝えも広く知られています。縁起の良い紋である一方、「織田信長を討った裏切り者の象徴」として、信長の子孫達にとっては、今なお、長きにわたって桔梗を忌み嫌っているのだそうです。

また、陰陽師で知られる安倍晴明が使用した五芒星は、星型にも見える桔梗の花にちなんで「桔梗印」と言われ、晴明神社の神紋とされています。

桔梗紋